適者生存の研究室

普通の大学生が現代社会での生き方を模索する研究所

この世は適者生存なのか それとも?

ブログタイトルを「適者生存の研究室」に変更しました。というわけで今回は適者生存のことについて少し話していこうと思います。

二十歳である普通の大学生が生物と経営を無理やり関連づけてどのように生きればいいか少し考えてみました。

「世の中は弱肉強食である」

 

説明するまでもなくこれは弱いものは食われ、強いものだけが生き残れることを意味している。なんて分かりやすい理論なのだろう、これは日常においてもそうで何か才能に長けている人はそうでない人に比べ、より良い地位を築くことができる。

例えば学歴について言えば医学部の人なんて僕からすれば強者でしかないし、彼らに比べれば自分自身は紛れもなく弱者である。そして将来「年収」という価値尺度において大きく差がついてしまうことになるだろう。

ひょっとするとこの先弱者である僕は社会で生き延びることができないかもしれない。特に才能のない人間は肉になるしかないのだろうか…

 

ここまで弱肉強食による考え、だが生物学にはこんな言葉が存在する。

適者生存:最も環境に適応したものだけが生き残り繁栄することができる。

 これは哲学者ハーバート・スペンサーの影響をうけてダーウィンが進化論に取り入れた考え方だ。

「強い者が生き延びたのではない。変化に適応したものが生き延びたのだ。」

この考え方では生き残るのに弱い強いは関係ない、その時々の環境に合った生き方をすれば繁栄することができる。一見弱者のように思える僕たちも勝負するフィールドを選べばきっとチャンスがあるに違いない。 

この競争を避け、自分に適したフィールド選ぶという選択についてもう少し掘り下げてみる。

 

経営学と生物の進化は似ているところ

経営学はまるで専門外だがちょっとそちらの分野に似たようなニュアンスの考え方を見つけたので紹介する。

ブルーオーシャン戦略という考え方

競争の少ない未開拓市場で勝負して利益を得るという考え方だそうです(逆に競争の激しい市場をレッドオーシャンと呼ぶ)。

なんだかさっき紹介した適者生存と少し似ていないだろうか。

 

ところで浜辺や海の中に木が生えていて樹林を形成しているのを見たことあるだろうか。おそらく誰も見たことがないだろう。あれは海水中の塩分が植物にとって有害でその塩分が植物の生育を妨げるからだ。しかし熱帯にはそういった環境にも生育する木がある。そうマングローブだ。

マングローブの木には入ってきた塩分を排出したり、葉っぱの中にため込むといった仕組みを持っている。そのため塩分濃度の高い環境でも生育することができる。

このような生理機構を獲得することによって誰も生育できない環境で繁栄することができたのだろう。まさにマングローブにとってこの青い海は”ブルーオーシャン”だったわけだ。

ただ誤解を生まないように補足するとブルーオーシャン戦略が立派な戦略なのに対して生物の進化は偶然によってよって引き起こされた結果でしかない。生物はある方向へ適応しようと思って進化しているわけではないのだ。

 

ニッチという言葉

ニッチという言葉をご存知だろうか。なんとなく日常で使われているニッチという言葉はコアな内容だとかそういったイメージがある。

実はこのニッチ、生物学にもビジネスにも両方使われている言葉なのてある。

ビジネス的な意味のニッチは「他企業が進出していないような小さな市場やビジネスの対象になっていないような分野」であるのに対して

生物学のニッチは「個々の生物種が利用する環境要因のこと」

こちらは少し分かりにくいので説明していく。

例えば川魚のヤマメとイワナは似たような生活をしているにも関わらず、両方とも川の上流部に生息している。このままでは生活場をめぐって争いが起こってしまうがそうならないために上流部でもより上流側と下流側で生息域を分けて生息している(これを棲み分けといいます)。

 

いずれにしろ競争が起こらないフィールドで舞台にしていることに変わりはない。ニッチとは競争に負けないために戦わずして利益を得る非常におもしろい戦略なのでないだろうか。ただし選択したフィールドによって、何の利益も得られないリスクとは常に背中合わせだ。

番外編:運者生存について

弱肉強食、適者生存まで聞いたことがあってもこの言葉を知っている人はあまりいないだろう。これは「環境に適応したものが生き残っている訳ではなく運が良かった者が生き残っている」という考え方だ。

実際その環境が自分に合うか合わないか、もしくは適切な環境に出会えるかなんて運次第なのかもしれない。

 

まとめ

何億年という月日の中で生物に起こった進化は(勿論それが直接適応に結び付いたものは少ないであろうが)合理的なものが数多く残ってきた。その中で獲得された他者と勝負しないという戦略が今、経営的な戦略として用いられているということは非常に感慨深い。

やはり生物にとって利益を追求するということは生活を向上させるための重要なプロセスだということが分かる。

 

弱肉強食のように競争に勝つことが全てではない、競争をしなくても勝つことができるのがこの世の中ではないだろうか。

自分に適した場所でそこに適した能力を身につけていればきっとその分野で成功できると信じている。そのために今なにができるか、常に模索しながら生活を過ごしていくことが大切ではなかろうか。具体的には「どういった場所で勝負すればいいか」もしくはそのために「どういった知識や技術を身につけておけばよいか」見つけていくことが大事だろう。

そしてそのヒントは必ず日常生活に隠れているに違いない。